国分けて血潮流せし田原坂 解  説
種別 町指定<史 跡>  明治10年2月15日政府訊問のためとして、鹿児島を発った西郷隆盛麾下の薩軍は、破竹の勢いで東上を続け、熊本城を包囲し、高瀬口の突破を試みたが、西下してきた官軍に阻止され、戦局の焦点は期せずして田原坂付近に集中した。
 史上最大最後といわれるこの内乱は、激烈をきわめ、特に田原戦開始後の16日目、3月19日夜半より降りはじめた豪雨をついて両軍の死闘が展開された。さか落としにたたきつける豪雨を貫く刀剣のきらめき、血潮を洗う泥水、その中に倒れ伏す屍、まさに骨肉合喰む惨状であった。
 かくして、硝煙のただようなか、寸断された樹木、削り取られた山肌を残して薩軍陣地は崩壊した。ときに明治10年3月20日であった。
出 典  薩軍血涙・その他西南の役諸本  より
駐車場  あり
所在地 豊岡字船底外(田原坂公園)
【「いろは歌解説書」より引用】
 著:大橋幸雄氏


いろはカルタ 【く】
読み札 取り札
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